函館真昆布の歴史
今から200年以上前の寛政の年間に、幕吏の文人 村上島之允が著わした蝦夷風俗絵巻「蝦夷嶋奇観」では「御上り昆布、一に曰く天下昆布」、「廳(ちょう)に奉る。これ昆布の絶品とす」と記されており、長くその価値が伝えられてきたことが窺い知れます。
昆布年表
奈良時代715年
日本の歴史書に「昆布」の文字が使用された最古の例
日本の文献に「昆布」が登場する最古の例は、797年に完成した「続日本書紀」の霊亀元年冬十月丁丑条とされ、この時期、昆布は朝廷への貢献品であったとの記載がある。
平安時代918年
「本草和名」に「昆布」の記載あり
深根輔仁(ふかねのすけひと)が勅選により編んだ博物書「本草和名(ほんぞうわみょう)」三巻には、「一名綸布。一名比呂女(ひろめ)、衣比須女(えびすめ)」とその語源が記されている(稲垣美三雄編・日本昆布大観・昭和二二年刊)。
出典:「南茅部町史」上 第6編 第1章 第1節 史書と昆布 宇賀昆布
鎌倉時代1223年
「廻船式目」に
「十三湊」の記載あり
十三湊は戦国時代までに成立したとされる『廻船式目(かいせんしきもく)』(現在の海商法に当たる法律書)のなかで「三津七湊」の一つに挙げられるなど、中世に始まる典型的な港湾都市のひとつであった。
室町時代1481年
「精進魚類物語」に
「昆布」の記載あり
「精進魚類物語(しょうじんぎょるいものがたり)」、別名「魚鳥平家(ぎょちょうへいけ)」は一条兼良(いちじょうかねよし)が著者(二条良基(にじょうよしもと)という説もあり)といわれているが、この話の筋書きでは「昆布」が大きな比重を占めており、「昆布」がかなり重要な食品であったと想像できる。
江戸時代1800年
寛政12年ころの昆布漁業
幕吏の文人 村上島之允が著わした蝦夷風俗絵巻『蝦夷島奇観』寛政12年(1800年)刊では昆布採集時期と種類について次のように述べており、この「蝦夷島奇観」の記事から、昆布の採取時期は6月土用から8月15日頃までにかけてであり、この当時の昆布の種類が、御上り昆布・志苔昆布・菓子昆布・三ツ石昆布等であったことがわかる。
明治〜現在1969年
南茅部町で促成コンブ養殖が開始
昭和41(1966)年、川汲漁協において道開発局水産課の委託事業として研究助成を受け、当時の北水研増殖部長だった長谷川由雄博士の指導による促成コンブ試験調査事業(四ヵ年計画)が行われ、試験調査の結果、2年生であるマコンブを1年間で生長させる促成栽培に成功した。